過日平昌で開催されていた冬のオリンピックが閉幕しました。これからパラリンピックに舞台が移ります。今回は長野の時よりたくさんのメダルが取れたとマスコミが騒いでいるのを何度も何度も聞きました。麻生という財務大臣は「コーチに金をかけたから成果が出たんだ」、などと見解を述べておられましたが…。

私も多少テレビで見ましたが、スポンサーへの配慮で競技人口が多かったりその国で人気のある競技は時差を考えて競技開始時間が朝だったり深夜だったりと選手は随分大変な思いをされていたようですが、そういう話はあまり表には出てきませんね。大会運営でもいろいろあった、ということは言われていますが、それは開催国のほうで総括してもらえばよいことということなんですかね。

オリンピックは4年に1回のスポーツの祭典と言われ、一方で政治抜きにしていることから平和の祭典とも言われています。

しかし、振り返ると1940年夏のオリンピックは東京開催の予定でしたが、当時の日本政府は「返上」し結果としてヘルシンキで開催されました。第二次世界大戦中の1944年ロンドン大会はさすがに中止でした。いろいろな事情があって全く影響を受けないということは無いということでしょうか。

IOCとお金の問題も度々話題になります。純粋に競技で大会参加にしのぎを削る選手たちには関係ないところですが、オリンピックが純粋に平和とスポーツの祭典とするとやや気分が重たくなるところではあります。先ほどのスポンサーに対する気遣いや莫大な放映権料の話も時々話題となります。人間のやることにはいろんなものが付きまといます。「清く気高く美しく」、というのもあるでしょうが「金を出すんだから…」という要請もあるんですよね。

何が言いたいのかというと、すべての事象に「光と影」があるということ。一面だけを見ていると事の本質が見えなくなってしまうということです。だからと言って競技に人生をかけている選手の皆さんの思いが軽くなったり変質したりするわけではありません。ただ光が強ければ強いほど影も闇深いものです。そういうことをきちんと理解していることが社会全体の包摂感とか包容力につながるように思います。

私たちの活動も包摂とか包容力が必要な場合が多いですね。でもそれは団結力という強い基盤があってのことです。「勝つためにやってるんじゃなくて強くなりたいと思ってやってる」、あるオリンピック選手の言葉です。私たち労働組合もそうであるべきなんじゃないかなと思っています。