私ごとですが、5月20・21日と田植えをして、ようやく春の一大事業を完了しました。当日はお天気がそこそこで暑すぎず、風もなく作業するのには絶好の日よりでした。5軒の農家の共同作業で種まきから育苗、そして田植えと1か月以上かかる作業ですが、今年も何とかうまくいきました。私が子どものころは手作業の田植えですから近所の10軒ほどが集まって協力して田植えを終わらせていました。それでも何日もかかっての田植えでした。今は個人個人が機械を所有して、田植え自体は1日もかからずに終えてしまいます。わが5軒の共同作業も全体で3ヘクタールほどですから田植え機を使って2日間、昔を思えば楽になったものです。

昔を思えば…、このところの報道では「モリ」「カケ」関連が盛んに報じられています。蕎麦じゃあるまいし、という陰口もあるようですが、それと同時に「テロ等準備罪」の審議も淡々と進められています。この法案に関しては国連の人権部門や報道の自由部門などが「懸念」の書簡を日本政府に送っていることもわずかに報じられています。驚くのはそのことに対する政府の態度です。真摯に聞くどころか「大激怒」の反論文を次々に送り返しているのです。曰く「国民は納得している」、曰く「一方的な評価だ」と。

こういう事態が昔もありました。1931年の満州事変とその前後における日本軍部を中心とした中華民国に対する侵略的行為を行った際の国際連盟「リットン調査団」報告、それに基づく国際連盟による日本に対する勧告とそれに対する日本政府の「欧米列強もやっている」という反論、そして日本の国際連盟からの脱退へと続く経過です。

この時も経過は複雑ですが、基本的に中国東北部に日本が「満州国」をつくり、傀儡政権としての皇帝を置き、やりたい放題のことをやっていたことに対する国際機関の厳しい措置です。この時も、国際世論の危惧に対して日本政府は「罵声」を浴びせ、中華民国にすべての責任があるかのような主張しています。そこから15年戦争の時代に突き進んでいきました。

安倍首相や菅官房長官たちには「誠意」というものは無いのでしょうか。降りかかる火の粉を必至に払うためにあまりにも見苦しい振る舞いが続いています。それはテロ等準備罪が「一般国民は対象にならない」という国会答弁の信憑性に大きく影響しています。都合の悪いことはすべて蓋をしてしまうやり方は「独裁政治」です。特定秘密保護法の運用状況にも不安が尽きません。およそ民主主義とは相いれない状況をテレビなどで見せつけられていると本当に心配になります。

「歴史は繰り返される」という言葉があります。昔話を懐かしんでいられる内容ならば笑っていられますが、「田植え」の話とは次元が違う事柄です。一人ひとりがもうそろそろ判断して、「ダメ」と言わないと歴史が繰り返されることだって無くは無いと思います。

日本国憲法の前文には「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」とあります。

この気持ちを忘れないように。